実施記録はこちら
コース 山田街道
千里のパワースポット 上新田散策
--- 大阪府文化財「旧新田小学校」見学会と道標6基にお目にかかる---
山田三つ辻から上新田へ 旧新田小学校説明(豊中市職員)
山田三つ辻から上新田へ 旧新田小学校説明(豊中市職員)
企画 9期生 2班
千里ニュータウン計画ではこの地も下新田を含め開発予定であったが、青年団、PTAが竹藪を残す運動により、計画から除外された。そのおかげで、江戸初期からの街並みが残っている。
旧新田小学校が府の文化財に指定されたのは昭和50年、開発から約10年後でであり、使用されていたのが昭和48年まで、もし、他の地域と同様、開発されていたら現存しなかったと思われる。それも、時代とともに開発の波により、天神社裏山が開発され、大きなマンションが立つことになった。
今回はそんな府の文化財旧上新田小学校では学芸員による講和、上新田村内は道端に残る庶民の文化財「道標」5基を紹介します。
追 加 上新田天神社 「本殿」 市指定有形文化財 の見学ができるようになりました。
追 加 上新田天神社 「本殿」 市指定有形文化財 の見学ができるようになりました。
期 日 11月1日(金)
集 合 阪急山田駅 北千里側改札口すぐ2F 13:00集合 変更13:15 吹田駅13:00発
食事処:家族亭 1F:ホールで食事可能
食事処:家族亭 1F:ホールで食事可能
解 散 千里中央 16:30
、
A.阪急山田駅 北千里側改札口すぐ2F 吹田の街道 亀岡街道・吹田街道・山田街道・横関街道・三国街道 その他 佐井寺への信仰道4ルートがある。
山田街道は起点終点上新田村 山田 茨木中穂積亀岡街道をに合流、下中条で高槻街道に合流して終わる。
B.山田三つ辻道標 山田街道、小野原街道の分岐 左 上新田村 をか町 いたみ
右 をの原村 みのを かちを寺 いけだ 妙見山 中山寺 珍しい三角柱
*まめ 石は一般的に花崗岩が使われる。
横に立っている杭は五一会の人たちによるもので、自分たちの村の資料を残している。
杭は昭和53年、 展示会を昭和55 「写真で見る 上新田」出版 昭和58年
C.弘済院 大阪市の飛び地 服部緑地墓地 古い写真がある 大きな道路 石公の橋
見つかった地蔵がある。 石公橋から濁池への道の途中 今調査中
豊中と吹田の分岐
この尾根筋には道があって今宮から南千里への道であった。
D.上新田入口 東口道標 勝尾寺街道と山田街道 右 山田、いばらき、左 かちをし (道)
古い道標 このように表示が一面だけの物は古いとされている。
出口は旧新田小学校で三国街道となる。 「見本のまち」 勝尾寺は今宮で西国街道を東進し、鳥居のある新家・表参道を参拝する。江戸前期に上新田は山田村の豪農が下新田と同時に開発 江戸中期には隠し田事件が起こる。 江戸中期、民が力を持ってくる、観音信仰・勝尾寺への参拝者でにぎわう。 初期は80石 明治には605石であった。大きくなったことがうかがえる。
徳林院(尼寺) 常光庵 開祖小畠清順 徳本上人・徳本行者 享和元年(1801)から箕面勝尾寺松林庵13年間 箕面を去る1814年(文化11年) 粟生間谷西の碑:有名なのは独特の丸文字で書かれた「南無阿弥陀仏」の六字名号の掛け軸が伝えられている。その他全国に1000基以上の碑がある。
E. 豊中市最古の道標南口 左面 天明元年(1781) 右 さいてじ 左 かちおじ 吹田の佐井寺への案内 見えないが裏面は 右 大坂
*杭の頭は平らであるが、道標はお墓と同じ4角錐であり、たいらでない。一番多いのは四角柱
F.道標北口 半彫馬頭観音像 「右か」文字一文字勝尾寺への道標 裏に 上・・・
* いろいろあるようだが北摂の馬頭観音像は冠が高い。
* 役行者 膝を立てている。飛鳥・奈良時代の人 修験道の開祖
役行者の道標では彫で表示、像は開祖箕面瀧安寺にあるが、豊中・吹田では見当たらない。
G.大阪三里の道標 (東)右 ざい所、左 大坂へ3里 (南)右かとをし
(西) 天明二年 名前2名は書いてあるが立てた人の名前であろう。
H.御旅所 赤塚橋
I.旧新田小学校 見学 市の職員が案内してくれます。 秋には1週間の一般公開が行われます。
小曽根の今西家は 1日だけの公開:案内が付く時間に行くとよい。
上新田は明治になり下新田と合併し、新田村で、明治6年小学校を真覚寺に置く 小学校建設1900年 1973年まで使用、下新田との分離昭和28年豊中市へ それまでは下新田の75歳以上の方々は、この旧新田小学校で学んでいた。
J.見つかった道標(新田の墓地) 左側が愛宕さん・北向き地蔵
珍しい村、村の出口すべて揃う 大阪平野の13出口にあった地蔵
南面 左大阪 西面 南無阿(弥陀仏) 北面 為万人 東面 右くま
上3文字下部欠損
さて問題です、この道標は何処に立っていたのでしょうか!地図を頭に描き考察してみてください。
万人講・石清水八幡に同名の講があるが、同一のものではない。
関の巨大な常夜灯も「万人講」が建てた。
なお、大阪から勝尾寺への道筋に 4基 江坂の油地蔵の「右かつ・・」下部欠損と上新田村の2基は、上村 和功が見つけました。他に2基 合計4基があります。
K. 山口家 上新田の薬酒 「日本外史」の著者:頼山陽は酒を愛し伊丹と上新田を行き来していたらしく、この家には頼山陽「歳寒堂」と命名した部屋がある。
山口家は酒屋を営むも、後には親戚筋の岸部の中西家を頼ってこの村を去る。
L.大きな地蔵 上新田天神社
千里のパワースポット 上新田天神社 千里の氏神様・千里の天神さん
「本殿」 市指定有形文化財 1686年
「とんど祭」 市指定無形民俗文化財 1/14日 火を持ち帰り、小豆粥を炊いて食べると、一年間無病息災で過ごせるという習慣があります。 見学記録 2013/01/14
*まめ 形状は四角柱、そのほかに地蔵、灯篭など 材質は花崗岩がおおい。
年号の入っているものはすくない。 誰が、個人、講 何のために・・・・
・・・・街道の名が入っているのは 明治以降の物
時代的に北摂では寛文年間の作成された物があるが、吹田市からは出ていない。
右左の表示から元立っていた場所を推定できる。
上新田の道標位置
赤印は西口道標の旧在所
今年は 11/7~11/10 4日間
ぜひこの機会においで下さい。
もよおし 豊中市文化芸術企画制作講座関連事業
美術作家・牛島光太郎さんの作品展 『意図的な偶然』
企画展 「地域が支えた小学校~明るく豊かな学びのために~」
教育資料展(昔の教科書やチャイムなど)
蓄音機や石盤(せきばん・計算や書取の練習をした石のノート)、]
機械式計算機、ガリ版印刷の体験などもできます
その前に 年に一回の公開 今西氏屋敷公開
伊藤若冲展 2016年
11月3日(日) 西福寺 (小曽根)
11月3日(日) 西福寺 (小曽根)
「見本のまち」 上新田の見どころ
******** パソコンの使い方
メールで添付ファイルの開け方 ファイルをダブルクリックすればよい。
私のように メールでブログのアドレス(ページ)をもらった場合の方法
http://suitasgc09.blogspot.jp/2013/10/blog-post_11.html これがアドレス
上の http:・・・をダブルクリックすると「千里のパワースポット 上新田散策」が提示されます。
1ページ表示です。
このブログの他の項目を見る場合は
1.一番上の大きく書いてある「すいたシニア環境大学9期生」をクリックすると全体が表示されます。
2.一番下最後尾に往った 「ホーム」 「前の投稿」があります。「ホーム」を押すと1番に戻ります。
「前の投稿」をクリックすると 前の日時のページが開きます。それの繰り返しです。
3.簡単にある月日のページに行くには 右側のフレームの年月の中から選んでください。
4.このブログには検索機能もついていますのでそれを使うのもよい。
5.このブログの中でよく読まれているページは右端のフレームの中に写真がありますのでそれをクリックするとそのページに飛びます。
6.ページの最後尾にはもう一つ コメントを投稿の上方にラベルがあります。関連するラベルをクリックすると関連ページが後に表示されます。 検索機能の簡易型です。一度試してください。
次にページの中で次のような場合もあります。
例えば上の「見本のまち」 上新田の見どころ にマウスを持っていくとマウスの形が☝に変化します。そこをクリックすればよい。別なページが表示されます。 そのことを文字の色が違う部分「リンクが張ってある」といいます。 他の場所でも試してください。
0 件のコメント:
コメントを投稿